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『注文の多い「からだの錯覚」の研究室展』が終わった。
ただいま、抜け殻状態である。

自分でもなぜなのかよくわからないが、研究室の展示には半分くらい命をかけることができる。
普段なら土日に大学に行くなんてまっぴらごめんだが、展示前なら強行するし、家族も許してくれる。
早朝から大学の施錠ぎりぎりの時間まで、一人の学生のプログラミングに付き合うこともある。
普段まるで社交的でない僕が、イベントのためにゲスト交渉だってこなすことができる。
直前になれば展示に関わる出費なんてまるで気にしない。
あらゆることを後回しにするので、大学の事務にも多大なる迷惑をかけてしまう。
毎月平均的に200kmほど走っているが、11月は79kmしか走らなかった。
それでもいつもの月以上に走っているような感覚もある。

展示のためなら半分くらい命をかけることができる。

新作となる出品物は、その主観的体験が、僕の基準を満足していないといけない。
この基準はおそらく一般的に見るととても独特で、そして厳しいものだが、
これまでの研究室展示(からだは戦場だよ)を通して、僕はそのルールを頑なに守り続けてきた。
それを破った時から、小鷹研究室の堕落が始まるだろう。そのような直感があった。

そういえば、2年前の「からだは戦場だよ2018Δ」で、僕は燃え尽きてしまったのだった。5年間ビッカフェで続けてやってきた「からだは戦場だよ」を、もう次の年はやる必要がない、とはじめて思った。それは、端的にいうと、今後「戦場Δ」の達成(体験の濃度としても集客としても)を上回る展示をやるなんてまるで不可能だと思えたからだった。ところが、2年のブランクを経た後の「注文錯覚展」は、その難題を軽々と乗り越えてしまった。声を大にして言うけど、これは決して「当たり前」のことなんかじゃない。当たり前であるはずがない。どこにそんな奇跡が転がってるってんだ。

展示は、コロナ第三波のピークと重なり、栄の百貨店の客入りは展示の前の週末あたりから目に見えてガクッと落ちたという。スペシャルなゲストを呼んだゲストトークも、親子の参加を見込んでいた錯覚レクチャーも、直前になってキャンセルが相次いだ。当然のことだと思う。そのいまだかつてない逆風の中で、本展には、しかし信じられない数(3日で186人)のお客さんがやってきた。とりわけ、最終日は17時のクローズにもかかわらず90人。二日続けて来ている人も何人か見かけた。VR部屋と暗室は常時「待ち」状態となり、コロナに怯える栄で、明確に密な空間が生まれていた。もしコロナと重ならなかったらどうなっていただろう。

たった一つの研究室の展示に、コロナ禍で続々と集まる名古屋、岐阜、東京、京都、仙台の人(たち)。
常軌を逸している。
でも本当は知っている。「たった一つの研究室」だからこそ、こんな魔法が起き得ることを。

僕は、小鷹研究室の活動を通じて、「研究室」という単位のコレクティブの新しい可能性を、世に問いたいと思っている。「たった一つの研究室」の中に、様々な方向に技能を持つ学生が参加し、<からだの錯覚>というフィルタを通じて、様々なスペクトルの体験が出力される。むろん、学生は機械ではないので、どこかの段階で研究室に固有の熱気に”感染”しないといけない。「自分がいかに面白いプロジェクトに参加しているか」、、その種の感染をけしかけることこそが、おそらくは(技術的伝承なんかよりも)僕という立場の人間にとっての一番大事な仕事である。そうして初めて、複数なるものによる大きな力が生まれる。「研究室」にはそのような可能性がある。それは(昨今、みんながあきらめつつある)「大学」の可能性ですらあると思う。

久しぶりに、少し「アツい」文章を書いてしまった。
めったにないことなんで許してほしい。

これからも小鷹研究室はまだまだ続きます。
それでも、この三日のことは一生忘れないと思う。そんな三日間だった。

ありがとうございました。


[佐藤優太郎による錯覚レクチャー]

P.S.
アイキャッチの写真は、ゲストトークの谷口暁彦さんと水野勝仁さんとの記念写真。
強烈に刺激的だったゲストトークの様子は、別途、別の記事としてまとめる予定です。

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